10月1日。
永遠のスーパースター、アントニオ猪木(79)が心不全のためこの世を去った。
たくさんのファンの記事やニュースなど、その報道ばかりでもう聞き飽きたという方もいるだろうが、私もファンとして一言お礼が言いたいと思ったので書くことにした。
10月1日
私は週一のルーティンであるサウナに向かおうと車に乗り込んだその時、スマートフォンの通知に「号外、アントニオ猪木死去」の文字…。
私はその場で動けなくなった。
私が最後に猪木氏の姿を見たのは今年8月の毎年恒例である24時間TV。
正直、24時間TVは殆ど観たことがない。
偶然観たTVは痩せ衰えてはいるが懸命に話す猪木氏の姿があった。
「きっと大丈夫であろう」
そう思っていた。
しかし、猪木氏のYouTube「アントニオ猪木最後の闘魂チャンネル」の更新も数ヶ月なかったのが気がかりではあった。
私は子供の頃からプロレスが大好きで毎週発刊されていた「週刊ゴング」「週刊プロレス」を買い、部屋中にプロレスラーのポスターを貼り、TV中継は猪木率いる「新日本プロレス」ジャイアント馬場率いる「全日本プロレス」問わず必ずビデオテープに録画して観ていたほどの熱狂的なファンである。
もちろん会場にも何度も観戦しに行き、猪木氏を何度も何度も観て興奮し、歓喜し勇気を与えてもらった。
※現在でも年数回はプロレスまたは格闘技観戦に行っている。
数々の名勝負のことはここで書くとキリがないのでやめておくが、猪木氏はプロレス界、格闘技界の頂点に立っていたのは間違いないだろう。
時には政治家にもなり人質解放に尽力したり、事業失敗で借金まみれで無茶苦茶だと言われたりある事ない事が記事になった。
とにかく色々なことがあっても猪木氏にはいつも元気をもらった。
「元気ですかーっ!」
「元気があれば何でもできる。」
というお決まりの挨拶で登場する。
晩年は病床の中で自分が元気ではない状況でもファンを喜ばすために持てる力を振り絞ってそう声をかけていた。
スーパースターになると、いつどんな時もスーパースターでいなければいけないというのはスーパースターならではの宿命であろう。
先日の長州力氏の追悼コメントにもあったが「やっと解放されましたね。」というのが猪木氏の本音かもしれない。
当時のプロレス実況担当であったアナウンサーの古舘伊知郎氏のYouTubeでは猪木氏が亡くなる直前の話も聞けたのでとてもよかった。
私は車を走らせカーオーディオで猪木氏の入場テーマ「炎のファイター」を久々に聴いた。
心の中から込み上げる様々な感情で胸が一杯になった。
1998年4月4日、東京ドームで行われたアントニオ猪木引退試合。
猪木氏は最後のメッセージに
『人は歩みを止めた時に、挑戦を諦めた時に年老いていくのだと思います』
という言葉を遺した。
全くその通りである。
まだまだ書きたいことはたくさんあるがこの辺でやめておく。
最後に猪木ファンとしてお礼を言わせて頂きたい。
猪木さん、本当にお疲れ様でした。
たくさんの夢や感動をありがとうございました。
私は一生ファンであり続けます。
また、いつか試合を観にいきますね!
いくぞーっ!
1、2、3、ダァーっ❗️
また一つ昭和が終わった。
合掌。